熊本地震から今日で2年(本震)

2016年4月16日1時25分。本震。

昨日とは、桁違いの激震。今度ばかりは「死ぬ」と思った。数値上は余震と同じ震度7だけど、揺れ方は明らかに異なった。電気も消えた。あちこちで警察、消防のサイレン、火災報知器、警備保障の非常ベルが鳴り響いた。

記録上は、余震14日、本震16日だが、その時間差は28時間。インタビューに応じたほとんどの人が、「昨日とは比べ物にならないほど…」と答えていたように、連日の地震だった。震度7の揺れ以降も、断続的に震度6〜5の余震が続き、なんとか耐えたマンションも、じわじわダメージを受けて倒壊するのではないか?という気がして、昨日のように部屋で寝る気にはなれなかった。

家族と着の身着のままで小学校へ避難することに。その移動中も余震は続き、畝る橋の上で立ち尽くす場面も。映画のようなシーン。あちこちで鳴る携帯やスマホの緊急地震速報の警報音も緊迫した雰囲気に拍車をかけた。子供の泣き声もあちこちで聞こえた。ただただ、怯えるだけの時間が過ぎた。小学校のグランドは避難者で埋め尽くされ、皆、ここで世を明かす覚悟をしていたと思う。グランド横の古い体育館が、余震の度にガラガラと悲鳴をあげる。とても帰る気にななれなかった。

4月の夜はまだ寒く、毛布なしでは厳しく感じたので、妻と娘のために部屋に取りに帰ることに。マンションのエントランスは、非常灯で明るいものの、部屋は真っ暗。スマホのライトで照らしながら、毛布だけを手にすぐに引き返す。その間にも余震はあって、生きた心地がしなかった。

困ったのはトイレ。体育館脇に屋外のトイレがあって、用は足せるが、なんせ人数が人数なので、数が足りない。そして、水道も止まっていたので流せない。プールからバケツリレーで水を調達することに。体を動かせる男性へ集合がかかると、若者も年配者も、我も我もと集まる。この辺りは、日本人の助け合いの精神の美しさを感じた。自分の周囲でも、毛布を譲り合ったり、お菓子を分け合ったり。

辛いけど、私も家族もとにかく寝ることに。まだ、安心できない。そんな気持ちが、これからの長期戦に備えて寝るという選択になったのかも。本震による、惨状は明るくなってから知ることになる。

以上、熊本市中心部に住む私の熊本地震の本震体験。本当に死ぬかと思いました。14日の地震が本震だと思っていたので、15日は一度部屋を片付けました。後日談ですが、余震と同じように床に本がぶちまけられて、収納棚が倒れ…元の通りに散らかった部屋が再現されました。慌てて片付けなければよかったと思った次第です。

ちなみに、14日から16日に発生した震度5以上の地震は、

規模 最大震度 震央
4月14日 21:26 M6.5 震度7 熊本県熊本
22:07 M5.8 震度6弱 熊本県熊本
22:38 M5.0 震度5弱 熊本県熊本
23:43 M5.1 震度5弱 熊本県熊本
4月15日 00:03 M6.4 震度6強 熊本県熊本
00:06 M5.1 震度5強 熊本県熊本
01:53 M4.8 震度5弱 熊本県熊本
4月16日 01:25 M7.3 震度7 熊本県熊本
01:44 M5.4 震度5弱 熊本県熊本
01:45 M5.9 震度6弱 熊本県熊本
03:03 M5.9 震度5強 熊本県阿蘇
03:09 M4.2 震度5弱 熊本県阿蘇
03:55 M5.8 震度6強 熊本県阿蘇
07:11 M5.4 震度5弱 大分県中部
07:23 M4.8 震度5弱 熊本県熊本
09:48 M5.4 震度6弱 熊本県熊本
09:50 M4.5 震度5弱 熊本県熊本
16:02 M5.4 震度5弱 熊本県熊本

上記期間に、震度4以上が73回、震度3以上が193回。どんだけエネルギー貯めてたんだって感じです。

起きてしまったことは仕方ありません。災害に対する備えは、心構えとしてはあったとしても、実際に体験すると、本能的に行動するようです。やはり、これだけは持って出ると決めた防災リュックなどを用意しておくのが一番だなぁと感じ、落ち着いてから購入しました。今は、玄関に置いています。それ以外は、臨機応変に対応するしかないですね。本当に大変なのは、地震の後です。後日、避難生活について書きます。