安倍政権下の「働き方改革」ではありませんが、最近、働くことへ対して思うところがあるので書いてみます。
落語家の三遊亭歌之助さんのCDのなかに、「死ぬ間際に『会社を頼む〜』っと言って死んで行く社員はいない」っていう下りがあるのですが、その通りだと思います。
家族のために…
「会社のために働いているわけじゃないよね。家族のために働いでいるんだから、仕事で体壊したり、鬱になったり、家族が悲しむような働き方はしないようにしようね。」と、私も管理職時代は、こんなことを言っていました。
当時は財務部に所属しており、決算時と平常時の仕事量のバランスが悪く、どうしても時間外労働が減らないジレンマが有りました。(月次)決算時の負荷は仕方ないとして、総労働時間を下げて、家族と過ごす時間を増やしてあげられれば?と、ひと月を、上旬、中旬、下旬と分けて、上旬=10時間、中旬=8時間、下旬=6時間の変動労働時間制導入へ取り組んだこともあります。結果、時間外労働は減ったものの、総労働時間は激減とまではいきませんでしたが。
日本人の気質なのか会社の風土なのか?。遅くまで働くことが美徳となって、生産性をあげて早く帰ることより、遅くまで残って頑張っている姿の方が評価されるのです。そして、それが、「家族のために頑張る姿」として自己陶酔に繋がる。そんな習慣が刷り込まれているので、なかなか変われないのではないでしょうか。
最近思うんです。「家族のために…」って、なんかしっくりこないと。
家族のために…の後に、自己犠牲があるような気がしてねぇ。なんか、ネガティブイメージが湧くんですね。一方、家族の方にしても、「家族のせいにされても…」と言いたくなるのではないでしょうか?昭和初期の男性社会ならともかく、現代では、女性の稼ぐ力は男性と遜色ないと思うのです。出産がキャリア形成の弊害になっていなければ、もっと活躍しているはずです。なのに、家族のためにと引き合いに出されてもねぇと奥様方は考えるのではないでしょうか。
家族のおかげで…
もちろん生活のために稼がなければならないことは事実ですが、私はこう考えるようにしています。「家族のおかげで働けている」と。
個人的には、家族のおかげで、好きに働けているし、自己犠牲は一切ありません。自分のために働いていると言ってもいいくらいに働かせてもらっています。
家族としても、恩を着せられるでもなく、逆に感謝されているのだから、ありがたいことではないでしょうか?家族としても働いているお父さんに感謝したくなるのでは?
決して、「いい考え方でしょ」というつもりも「この考え方広げましょ」というつもりもありません。ただねぇ、こう考えると凄く楽なんです。ポジティブでいられるんです。仕事上、大変なことがあっても、「家族のために」と思うと「乗り越えなければ!」となるけど、「家族のおかげで」だと「こんな機会にも巡り会えた」と感じられます。
これが私の「働き方の意識改革」です。