パワハラの定義と分析と対処法

昨年、世の中を賑わせたパワハラ議員。熊本市の女性議員が失職しました。まっ、熊本市では有名なお話しで、やっと追い出せたかぁってところです。

議員の兼業を禁止する地方自治法の規定に抵触したとして「議員資格なし」とする議案を全会一致で可決したことで失職したわけですが、普段のパワハラぶりの方が議員の資質として如何なものかと案じていたところです。

で、今月16日、厚生労働省が検討会でパワハラの定義案を出したわけですが、セクハラやマタハラと違ってパワハラって法律による定義も規制もなかったんですね。その案は、

パワハラの定義案

  1. 優越的な関係に基づいて(優位性を背景に)行われること
  2. 業務の適正な範囲を超えて行われること
  3. 身体的若しくは精神的な苦痛を与えること、又は就業環境を害すること

この3つの条件を全て満たした場合とすることで大筋了承されました。もうちょっと詳しくまとめると

が、企業への義務づけは見送ったそうです。従って、違反しても企業名の公開は無しです。パワハラと受け取るか、教育と受け取るか…。仕事と関係ないセクハラやマタハラと違って、仕事に直結する職場でのハラスメントだけに難しさはありますね。でも、先の熊本市の議員さんは3つ全て該当してます。アウトです。

パワハラする可能性

意図的にパワハラするケースもあれば、パワハラの自覚が無いケースもあるようです。社員のアセスメント調査をする会社では、誰でもパワハラの芽を持っていると分析しています。

実は、私もパワハラで訴えられそうになったことが…。自分が優越的地位にあるという自覚がなかったために、冗談が冗談と取ってもらえなかったコミュニケミスでしたが、全く気付きませんでした。幸い、被害?を相談された上司が、私の昔の上司だったため事無きを得たのですが、気づかぬ内に人を傷つけている可能性があることを学びました。

自分がそうだからというわけでもありませんが、注意が必要だと思います。

パワハラする人の心理状態

人間の体には、悪いことをすると嫌な気分になる遺伝子が存在するそうです。人の悪口を言ったり、赤信号を渡ったり、悪いことをすると心が嫌な気分になるから、行動にブレーキがかかるのが性だということ。

では、パワハラする人も嫌な気分を味わっている?ようではなさそうですよね。これは、「この人のためになるから!」とか「教育の一環だ!」と自分の行動を正当化しているので、嫌な気分にはならないそうです。だから、反抗すると益々「正当化」に拍車がかかり「もっと、この人のために」「もっと教育を」とエスカレートしていくというのです。結局、自分の正当化が優先されて、相手の気持ちに意識が向かないんでしょうね。ある意味、パワハラする人もコミュニケ障害者なのかもしれません。

パワハラ対処法

先ほどは、私のパワハラする側の経験を書きましたが、中間管理職として上司からの厳しい叱責も経験しています。パワハラの域だったかどうかは受け手の意識の問題だったかと思いますが、それなりに、対処法はあります。私の学んだNLPでも他の心理学でも同じですが、基本はまず「聴くこと」です。

ディソシエイトして聴く

その場合注意することは、ディソシエイトすること。正しく無いけど幽体離脱って言った方が分かりやすいでしょうか。第三者として聴くことです。て言うか、聞かずに観察するイメージです。「こんなに怒って、昨晩何かあったのかなぁ」とかしおらしい姿勢で観察するんです。ディソシエイトの反対がアソシエイト。当事者自身で聴くことです。アソシエイトして辛いことも、ディソシエイトすると気がそらせます。

相手に罪悪感を芽生えさせる

もっと踏み込むと、全てを出させること。延々と続くパワハラは、アソシエイトすると辛いけど、ディソシエイトすると割と耐えられます。できれば、全て吐き出させて、相手に言い過ぎたかなぁと罪悪感を覚えさせることです。嫌な気分に変われば、行動にブレーキがかかります。仮に、本人にその意識が芽生えなくても、周囲が「流石に行き過ぎだろう」って目に変わりますから無駄ではありません。

従順なふりをする

あまり、やりたくありませんが、相手の支配下に降りるのも一手です。もともと、パワハラする人は、相手の気持ちを考えられない我儘くんです。マウントポジションで相手を傷め尽くし、自分の支配下に置くことに満足を覚える品格のない暴君です。そんな暴君には従順なふりをするのも有効です。自分が至らないことを認め、アドバイスを求めると、相手の欲求が満たされます。相手が変わることはありませんが、対象があなたから他に移る可能性はあります。「えっ、そんなの嫌だ。我慢ならないって?」

ダビデ像のミケランジェロの逸話ですが、ある時、ミケランジェロに作らせた石膏像の鼻が高すぎると暴君がイチャモンを付けたそうです。ミケランジェロはすぐに手元に石膏の粉を忍ばせ、石膏像を叩く音と共に、手元の粉を振りまきました。石膏像の鼻は少しも削らずに。暴君は、その高さでいいと満足したそうです。

暴君は、ミケランジェロの従順な行動に満足したのであって、作品の鼻の高さに満足したわけではないと言うことです。この、逸話を聴くと、従順に演じるのも己を人格者に感じて嫌じゃなくなるのではないでしょうか。

相手を変えるのは難しいです。が、自分の考え方や振る舞い方はすぐに変えられます。心理学は、柔軟に対応する方法を教えてくれます。あなたがもし、パワハラに直面していたらちょっと試してみてください。